1月の記念日・祝日(毎日の読書より)

1月2日 聖バジリオ


バジリオは330年、カッパドキアのカエサリアでキリスト教徒の家庭に生まれた。
370年に故郷の司教となり、アレイオス派の異端と戦い、多くの優れた著作を著した。
彼の書いた修道戒律は特に有名で、東方教会の多くの修道院で現在も守られている。
379年1月1日に死去。


グレゴリオは同じく330年、ナジアンズ近郊に生まれた。

隠遁生活を送るために友人バジリオのもとに赴いたが、間もなく司祭に、やがて司教に叙階された。
381年にコンスタンチノープルの司教に選ばれたが、同教会に起こった派閥争いのため
職を辞してナジアンズに戻り389年(あるいは390年)1月25日に死去。
学問と雄弁によって名声を高めたため、「神学者」という称号を与えられた。

1月7日  聖ライムンド(ペニャフオル)司祭

1175年頃、バルセロナ近郊に生まれる。
バルセロナ教会の参事会員になった後、ドミニコ会に入会。
優れた教会法学者として、グレゴリオ九世教皇の命令に従って『教皇教令集』を編纂した。
ドミニコ会総長に選ばれ、優れた諸規定を発布して会を治めた。
特に優れた著作は、ゆるしの秘跡を正しく有益に執行するために書かれた『良心問題大全』である。
1275年に死去

1月13日 聖ヒラリオ司教教会博士


4世紀初めにフランスのポワティェに生まれる。
350年頃、同市の司教に選ばれ、アリウス派と激しく戦ったが、
コンスタンティウス帝によって追放された。
カトリックの信仰を固め、聖書を翻訳する秀でた著作を残した。
367年に死去。

1月17日聖アントニオ修道院長

「修道生活の父」として知られるアントニオは、250年頃エジプトに生まれた。
両親の死後、財産を貧者に分け与えて荒れ野に引きこもり、
そこで禁欲の生活を始め、多くの弟子が彼に師事した。
ディオクレチァヌス帝による迫害のときに信仰のために苦しみを受けている人々を支え、
アリウス派に対して戦った聖アタナシオを助けることなどによって、教会のために働いた。
356年に死去。

1月20日 聖ファビアノ教皇殉教者

236年にローマ司教に選ばれ、聖チプリアノが伝えているとおり、
デキウス帝による迫害が始まった250年に殉教し、
カリストの墓地に埋葬された。


聖セバスチアノ殉教者

デイオクレチアヌス帝による迫害の初期(三世紀末)にローマで殉教した。
彼の墓は、アッピア街道沿いのカタコンブにあり、
古代末期から信者の崇敬の対象とされている

1月21日 聖アグネスおとめ殉教者

3世紀後半、あるいはむしろ4世紀初めにローマで殉教した。
ダマソ教皇は彼女の墓に碑文をささげ、
聖アンブロジオをはじめ多くの教父たちが、アグネスをたたえている。

1月22日  聖ビンセンチオ助祭殉教者


サラゴサ(スペイン北東部)の教会の助祭であったビンセンチオは、
デイオクレチアヌス帝による迫害のときにスペインのバレンシアで激しい拷問を受け、
おそらく三〇四年に殉教した。
彼に対する崇敬は、直ちに教会中に広まった。

1月24日 聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士

1567年にフランスのサヴォア地方に生まれる。
司祭に叙階されると、祖国のカトリック教会の復興のために尽力した。
ジュネーブの司教に選ばれると、教区の聖職者や信者たちの指導に全力を尽くし、
著作と活動によって彼らの信仰を育て、すべての人にとって模範となった。
1622年12月28日にリヨンで没し、遺体はアンネシーに埋葬された。

1月25日 聖パウロの回心

キリストの弟子たちを迫害していたサウロ(後のパウロ)はダマスコに向かう途中、
復活したキリストと出会い、迫害者から信仰者に変わった(使徒言行録9・l-22)。
パウロの回心をこの日に記念することの起源は定かではないが、
5世紀後半の「ヒエロニムス殉教録」にはすでに記載されている。

1月26日  聖テモテ  聖テトス司教

テモテとテトスは使徒パウロの弟子であり、協力者である。
テモテはエフェソの教会を、テトスはクレタの教会を指導した。
パウロは彼らに「牧会書簡」と呼ばれる手紙を送り、
その中で、司牧者と信者たちを育てるうえでの、
すぐれた教えを述べている。

1月27日  聖アンジエラ・メリチおとめ


1470年頃、ベネチアのデセンザーノに生まれる。
フランシスコ第三会員の服装を身に着け、少女たちを集めて慈善の業を行うように教えた。
1535年、ブレーシアに、貧しい家庭の少女たちのキリスト教的教育を目的とする
聖ウルスラ女子修道会を創立した。 1540年に死去。

1月28日  聖トマス・アクィナス司祭教会博士

1225年頃、アキノの伯爵の家庭に生まれる。
初めはモンテ・カツシーノの修道院で、次いでナポリで学問を修めた。
後にドミニコ会に入り、パリとケルンで聖アルベルト・マグヌスに師事して学業を終えた。
哲学と神学を教えるとともにそれらに関する多くの優れた著作を残した。
1274年3月7日にフオッサノーバ近郊で没したが、
1369年1月28日に遺体がトウールーズに移されたことからこの日に記念されるようになった。

1月31日  聖ヨハネ・ボスコ司祭

1815年、トリノ教区のカステルヌオーボ近郊に生まれる。
辛苦に満ちた幼少期を経て司祭となり、青少年の教育に全力を注ぎ、
若者に職業やキリスト教的生活を修得させる修道会(サレジオ会)を創立した。
また、多くの護教的な著作をも著した。 1888年に死去。