3月の記念日・祝日(毎日の読書より)

3月4日  聖カシミロ

ポーランド国王の息子として、1458年に生まれる。
キリスト者に固有の徳に満ちた生活を送り、
特に貞潔を守り貧者を親切に助けた。
信仰に励み、キリストの聖体とマリアに対する信心に努めた。
1484年、結核により死去

3月7日  聖ペルペトゥア・聖フェリチタス殉教者

】二人はセプティミウス・セヴェルスによる迫害のさなかの203年にカルタゴで殉教した。
彼女たちの殉教については、詳しい記録が保存されている。
その一部は後に殉教したこの人々自身が書いたものであり、
他の部分は同時代の別の人によって書き留められた。

3月8日 聖ヨハネ・ア・デォ修道者

1495年、ポルトガルに生まれる。危険に満ちた兵役の後、
より優れた生き方を望んで、病者ヘの奉仕に身をささげた。
スペインのグラナダに病院を設立して同志を集め、
彼らがヨハネの死後、聖ヨハネ病院修道会を形成した。
ヨハネは特に貧者と弱者に慈愛を注いだ。
1550年、グラナダで死去。

3月9日 聖フランシスカ(ローマ)修道女

1384年、ローマに生まれる。
若くして結婚し、二人の息子を産んだ。
当時は困難の多い時代であったが、
彼女は自分の産財を貧者に分配し、病者を看護した。
貧者を活発に助け、諸徳、特に謙遜と忍耐に秀でていた。
1425年、聖ベネディクトの修道会則に従う鏡の堂の奉献会を創立した。
1440年に死去。

3月17日  日本の信徒発見の聖母

キリスト教への迫害が少し緩やかになった1865年のこの日、
10数名の男女が、建てられて間もない大浦天主堂を訪れ、
プチジャン神父に「わたしたちは皆、あなたと同じ心です」と、
キリスト教の信仰をもつていることを告げた。
彼らは、200年以上にも及ぶキリスト教への厳しい弾圧を、
不屈の信仰をもつて耐え忍んできた人々の子孫である。
この日の名称は2015年から「日本の信徒発見の聖母」に変わり、
日本固有の祝日として祝うことになった。

3月17日聖パトリック司教

385年頃、英国に生まれる。
若い頃に奴隷として捕らえられてアイルランドに連れ去られ、
羊飼いの仕事をさせられた。
自由の身になると聖職者になり、
やがてアイルランドの司教に叙階されて人々に熱心に福音を宣べ伝え、
多くの者をキリスト教へ導いた。
またアイルランド教会の組織を作った。
461年にダウン市近郊で死去。

3月18日 聖チリロ(エルサレム)司教教会博士

315年にキリスト者の両親の間に生まれ、
348年、マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。
アレイオス派との論争に参加し、
アレイオス派を支持する皇帝によって何度か追放された。
正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、
司牧者としての熱意を物語っている。
386年に死去。

3月20日  聖ヨセフ

2月19日にヨセフの記念を行う習慣は、
10世紀の西方教会の教会暦に見られる。
処女マリアの夫ヨセフは、
聖家族の長としてイエスを守る務めをゆだねられていた。
教会は、ナザレの聖家族の保護者であったョセフを、
キリストのからだである教会の保護者として崇敬している。

3月23日 聖トゥリビオ(モングロベホ)司教

1538年頃、スペインに生まれる。
サラマンカで法律学を学び、
1580年にリマの司教となり南米に赴いた。
使徒的な熱意に燃え、しばしば教区会議を開くことによって、
教区民の信仰生活の刷新をはかった。
教会の権能を擁護し、教区民を頻繁に訪れて人々の世話をし、
インデイオたちに対しても特別な配慮を示した。
1606年に死去。

3月25日  神のお告げ

東方教会を起源とするこの祭日は、
従来は聖母の祝日とされていたが、
ローマ典礼暦の改正の際、
キリストが処女マリアの胎内に宿ったという出来事を記念するため、
主キリストの祝祭日として祝われるようになった。
きょうは、神の御ひとり子の受肉と、
それを知らせる天使の言葉を
信仰をもって受け入れたマリアの承諾を思い起こす祭日である。