月の記念日・祝日(毎日の読書と毎日のミサより)

6月1日  聖ユスチノ殉教者

二世紀初めにサマリアのナブルスで異邦人の家庭に生まれた。
さまざまな哲学を学んだが、ついにキリスト教に改宗し、
キリスト教を擁護する多くの書物を著し、
二冊の『弁証論』、『トリュフォンとの対話」が残っている。
また、ローマでキリスト教的哲学熱を開き、宗教に関する公開討論を行った。
マルクス・アウレリウス帝の治世下の165年頃に、数人の弟子とともに殉教した。
6月2日 聖マルチエリノ  聖ペトロ殉教者

デイオクレチアヌス帝の迫害(四世紀初め)のときに殉教した二人については、
死刑執行人自身から伝え聞いたダマソ教皇が証ししている。
彼らは森の中で首を切られ、
ローマのラビカーナ街道沿いの「二本の月桂樹」と呼ばれる墓地に葬られた。
キリスト教寛容令が発布された後、彼らの墓の上には大聖堂が建てられた。
6月3日 聖力口口・ルワンガと同志殉教者

1885年から1887年にかけて、ウガンダでは、
キリスト教に反対したムワンガ王によつて多くのキリスト教徒が殺害された。
彼らの幾人かは、王の官殿に仕えていた者や王の小姓であり、
その中でも熱心なカトリツク信者であった
カロロ・ルワンガと21人の仲間が特に秀でている。
彼らは王の不貞な誘惑を拒んだために、
ある者は剣で刺し殺され、ある者は火あぶりにされるなどの刑に処せられた。
6月4日  聖母のみ心

この記念日は1944年にピオ十二世教皇によって定められた。
神に心を開いて自らをささげた聖母マリアは、すべてのキリスト信者の模範である。
マリアの心が聖霊のふさわしい住まいとされたように、
わたしたちの心も聖霊の神殿となることを祈る(ミサの集会祈願)祝日である。
6月5日  聖ボニフアチオ司教殉教者

673年頃、英国に生まれる。
エクセターの修道院で修道生活に入り、
719年に福音宣教のためにドイツに渡り、多くの人をキリスト教に改宗させた。
司教に叙階された後はマインツ教区を治め、多くの協力者を集め、
バイエルン、チューリングン、フランケンなどの各地方でいくつかの司教区
の設立や刷新に力を注いだ。
また、教会会議を何度か開き、教会法令を発布した。
754年、フリジア人に福音を宣教するためにオランダを訪れていたとき、
フリジア人の異教徒によって殺害された。
遺体はドイツ中部のフルダの修道院に埋葬されている。
6月6日  聖ノルベルト司教

1080年頃、ラインラント地方に生まれ、クサンテンの教会参事会員となった。
やがて世俗的な生活を捨てて修道生活に入り、1115年、司祭に叙階された。
使徒的活動を開始し、フランスとドイツなどで説教の仕事にたずさわった。
仲間を集めてプレモントレ会を創立し、いくつかの修道院を設立した。
1126年にマグデブルクの大司教に選ばれ、キリスト教徒の生活の改革を進め、
近隣の国々の異教徒にキリスト教を広めた。
1134年に死去.
6月9日  聖エフレム助祭教会博士

306年頃、シリアのニシビスのキリスト者の家庭に生まれる。
助祭に叙階され、ニシビスとエデッサで活躍し、神学のための学校を設立した。
禁欲生活を送るとともに、説教を続け、当時の謬説を論駁する書物を著した。
373年に死去。
6月11日  聖バルナバ使徒

キプロス島で生まれたバルナバは、エルサレム教会の初期のキリスト教徒であった。
アンチオケに福音を宣べ伝え、
使徒パウロとともに異邦人への最初の宣教旅行に出かけた。また、
49年頃に開かれたエルサレムの使徒会議(使徒言行録15章参照)にも参加した。
キプロスに帰って福音宣教に従事し、同地で亡くなったと伝えられている。
6月13日  聖アントニオ(バドバ)司祭教会博士

十二世紀末にポルトガルのリスボンに生まれる。
聖アウグスチノ修道会に入会して司祭に叙階されたが、
やがてアフリカで福音宣教をするためにフランシスコ会に移った。
しかし、アフリカに長くとどまることができず、
フランスとイタリアで説教活動に従事するようになり、
大きな成功を収め、多くの異端者を教会に連れ戻した。
また、フランシスコ会で同会の修道者に神学を教える最初の教師でもあった。
優れた学識と流れるような雄弁を特徴とする多くの説教を残した。
1231年にパドバで死去。
6月19日  聖ロムアルド修道院長

10世紀半ば、ラベンナに生まれる。
隠遁生活に入り、長年にわたって旅をし、孤独を求めて各地で小さな修道院を創立した。
完徳をめざして修徳に励みながら、
当時の修道者たちの悪習に強く対抗した。
1027年ころに死去。
6月21日  聖アロイジオ・ゴンザガ修道者

1568年、ロンバルディア(イタリア北部)のマントバ近郊で、
カスティリョーネ公爵の家庭に生まれる。
,母親から宗教教育を受け、熱心な信仰生活を送るようになった。
公爵としての相続権を弟に譲って、ローマでイエズス会に入った。
神学生として病院で疫病患者の看護中に病に倒れ、 1591年に死去
6月22日  聖パウリノ(ノラ)司教

三五五年、フランスのボルドーに生まれる。
ローマ帝国の高官となり、結婚して子どもをもうけた。
しかし、禁欲生活を求めて洗礼を受け、
全財産を放棄して393年にカンパーニアのノラで修道生活を始めた。
やがて同地の司教となり、聖フエリクスに対する崇敬を広め、
巡礼者や当時の多くの災いに襲われた民衆を熱心に助けた。
優れた詩歌を残した人としても知られている。431年に死去。
6月22日  聖ヨハネ・フィッシャー司教  聖トマス・モア殉教者

ヨハネ・フィッシャーは1469年に生まれ、
英国のケンブリツジで神学を学んで叙階された。
ロチェスターの司教となって質素な生活を送り、信
者のもとを頻繁に訪れて熱心に司牧に従事した。
また、当時の異端を論駁する著作を著した。

トマス・モアは1477年に生まれ、
オックスフォードで学問を修め、結婚して一男三女をもうけた。
英国の大法官に任命され、
行政に関する著作やカトリック信仰を擁護する著作を残した。
ヘンリー八世の離婚に反対したという理由で、
フィッシャーは1535年6月22日に、
モアは同年7月6日に斬首刑に処せられた。
フィッシャーは投獄中に、パウロ三世教皇によつて枢機卿に任命された。
6月24日  洗礼者聖ヨハネの誕生

イエスが「燃えて輝くともし火」(ヨハネ5・35)と呼ばれた
洗礼者ヨハネに対する崇敬は古くから行われており、
その誕生の記念日に行われたアウグスチヌスの説教が残されている。
イエスの誕生の六か月前にあたるこの日は、
母の胎内にあったとき聖霊に満たされ(ルカ1・41)、
荒れ野で悔い改めの洗礼を宣べ伝え、救い主キリストを迎える
準備をした洗礼者ヨハネの喜ばしい誕生を祝う日である。
6月27日  聖チリロ(アレキサンドリア)司教教会博士

370年頃に生まれた。
修道生活を送り、司祭に叙階され、
アレキサンドリアの司教であった伯父に仕え、その死後、
412年にアレキサンドリアの司教になった。ネストリオス派の教えに強く対抗し、
エフエソ公会議において中心的な役割を果たした。
カトリックの信仰を解説し擁護する多くの著作を著した。444年に死去。
6月28日聖イレネオ司教殉教者

130年頃に生まれた。
スミルナで少年期を過ごし、同地の司教聖ポリカルポの弟子であった彼は、
フランスのリヨンで迫害が起きた177年には司祭となっており、やがてリヨンの司教になった。
グノーシス主義に対してカトリックの信仰を擁護する著作を残した。
特に『異端反駁』は有名。
200年頃に殉教したと伝えられている。
6月29日  聖ペトロ  聖バウロ使徒

初代教会の中心的な指導者である二人の使徒を祝うこの祭日についての最古の記録は、
258年に書かれたものである。
使徒の頭であるペトロは、エルサレムをはじめ広く宣教活動を行った。また、
初めはイエスの弟子たちを迫害していたパウロは復活したキリストと出会って回心し、
異邦人の使徒としてキリストの教えを宙べ伝えた.二人は異なる使命を与えられていたが、
「キリストのもとに人々を一つに集め、信仰のあかしのためにともにいのちをささげ」
(きょうのミサの叙唱)、ネロ皇帝による迫害の時代(60年代半ば)にローマで殉教した。
6月30日   ローマ教会最初の殉教者たち

ネロ皇帝によつて行われた教会に対する最初の迫害において、
64年のローマ焼失の後、
きわめて残酷な方法で多くのキリスト教信者が処刑された。
古代ローマの歴史家タキトウスは『年代記』15・44で、
さらにローマの司教クレメンスはコリントの信徒にあてた手紙の中で、
この迫害について述べている。