7月1日 福者ペト回岐部司祭と187殉教者 きょう記念する188人の殉教者は、江戸時代初期の1603年から1639年に 日本各地で殉教した人々である。 その出身地は新潟・東京・京都・大阪・広島・福岡・長崎・大分・鹿児島の 九教区におよんでいる。 188のうち、司祭は4人、修道者は1人で、他の183人は男女の信徒であった。 これらの信徒は、武士・農民・漁師・伝道士などさまざまな社会的立場の人々であり、 家族で殉教した人々も含まれている。 キリストの福音を勇気をもってあかしした188人は、 2008年11月24日にに長崎で列福された。 |
7月4日 聖エリザベト(ポルトガル) 1271年、アラゴニアの王家に生まれる。 若くしてポルトガル王のもとに嫁ぎ、二人の子を産んだ。 困難と苦労を忍びつつ、祈りと愛の業に励んだ。 夫の死後、貧者に全財産を施し、フランシスコ第二会員となった。 子と孫の争いの調停に努めつつ、1336年に帰天した。 |
7月5日 聖アントニオ・マリア・ザカリア司祭 1502年、ロンゴバルデイア(北イタリア)のクレモナに生まれる。 パドバで医学を学んだ後、司祭となり、 キリスト者の倫理生活を高めるうえで、大きな業績をあげた。 また聖パウロ律修聖職者会(バルナバ修道会)を創立した。 1539年に死去。 |
7月6日 聖マリア・ゴレツテイおとめ殉教者 |
7月9日 聖アウグステノ・チャオ・ロン司祭と同志殉教者 |
7月11日 聖ベネデイクト修道院長 |
7月13日 聖ハィンリッヒ 973年、ドイツのバイエルンに生まれる。 父親の後を継いでバイエルン公となり、やがて神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれた。 教会の改革に努め、宣教活動を推進し、多数の司教座を設立し 、多くの修道院を経済的に援助した。 1024年に死去し、 1146年、エウゲニオ三世教皇によって列聖された。 |
7月14日 聖カミロ(レリス)司祭 |
7月15日 聖ボナベントウラ司教教会博士 1218年頃、中央イタリアのトスカナのバニョレジオに生まれる。 パリで哲学と神学を修め、フランシスコ会に入り、教授資格を取得。 フランシスコ会員たちに哲学と神学を教え、大きな成果を収めた。 やがて同会の総会長に選ばれ、分別と英知をもつて会を治め、 ついにアルバーノの司教枢機卿に任命された。 1274年にリヨンで死去。 神学と哲学に関する多くの優れた著書を残した。。 |
7月16日 カルメル山の聖母 |
7月20日 聖アポリナーリス司教殉教者 2世紀後半、諸民族の間で福青宣教に従事し、 イタリア北部、ラヴェンナ近郊のクラッセ教会を司教として導いた。 後に殉教の栄誉を受け、崇敬を受けるようになったと伝えられる。 本来の死去の日は7月23日 |
7月21日 聖ラウレンチオ(ブリンディジ)司祭教会博士1559年に生まれる。 |
7月22日 聖マリア(マグダラ) キリストに従う人たちの一人で、 キリストが十字架上で亡くなられたときにそばに立ち、 三日目の朝早く、復活したイエスと最初に出会った(マルコ‐6.9)。 マグダラのマリアヘの崇敬は、特に12世紀から西方教会に広まった。 |
7月23日 聖ビルジッタ修道女 1303年、スウェーデンに生まれる。 若くして結婚して8人の子を産み、優れた教育を施した。 フランシスコ第三会員となり、 夫の死後は、世間にとどまりながら禁欲的な生活を始めた。 やがて修道会を創立し、ローマに赴き、そこで模範的な修徳生活を送った。 また、苦行として旅をし、自らの神秘体験を説く多くの著作を残した。 1373年にローマで死去。 |
7月25日 聖ヤコブ使徒 . ベトサイダに生まれたヤコブは、ゼベダイの子で使徒ヨハネの兄弟である。 彼はキリストが大切な奇跡を行う場に居合わせた。 42年頃、ヘロデ王によって殺害された。 スペインのコンポステラには聖ヤコブにささげられた立派な教会堂があり 有名な巡礼地となっている |
7月26日 聖マリアの両親聖ヨアキムと聖アンナ 2世紀に由来する伝承によれば、 聖母マリアの両親の名前は、ヨアキムとアンナであった。 アンナに対する崇敬は、すでに6世紀に東方教会において見られ、 10世紀に西方教会にも広まった ヨアキムに対する崇敬が盛んになったのは、近代からである¨ |
7月29日 聖マルタ マルタはマリアとラザロの姉妹であった。 ベタニアではイエスをあたたかくもてなし、また、 イエスは彼女の祈りにこたえて、死んだラザロを復活させた。 |
7月30日 聖ペトロ・クリソロゴ司教教会博士 380年頃、イタリアのエミリア州イモラに生まれ、 そこで聖職者となった。424年にラベンナの司教に選ばれ、 説教と著作で教区民を熱心に指導した。450年頃に死去。 |
主日の典礼は、女子パウロ修道会のご厚意によりリンクさせていただいてます。