8月の祝日・記念日(毎日の読書と毎日のミサより)

8月1日  聖アルフォンソ(リゴリ)司教教会博士

1696年、ナポリに生まれる.教会法と市民法の博十となった後、
司祭となり、レデンプトール会を創立。
民衆のキリスト教的生活を育てるために説教に力を注ぎ、書物を執筆した。
特に倫理神学についての著作は優れており、倫理神学の大家とされている。
サンタガタ・デイ・ゴーティの司教に選ばれたが、間もなく司教職を辞し、
1787年、中部イタリアのカンパニャ地方パガーニにあるレデンプトール会修適院で死去。
8月2日  聖エウセビオ(ベルチエリ)司教

4世紀初めにサルデーニャ島で生まれる ローマで聖職者となり、
345年、ベルチエリの初代の司教に選ばれた 説教によつてキリスト教を広め、
自分の教区に修道院を設立した。
信仰を弁護したためにコンスタンティウス帝によつて迫放され、
多くの苦しみを耐え忍んだ。
また、ベルチエリに戻ってからはアレイオス派に対して
正統信仰を守るために熱心に働いた。
371年、同地で死去¨
8月2日  聖Lベトロ・ユリアノ・エイマール司祭

1811年、フランス南束部イゼール県のラ・ムールに生まれる。
司祭として数年間、司牧活動に携わった後、マリスト会に入会した。
聖体の秘義に対する熱心な礼拝者であり、
後に型体礼拝のためにささげられた男女の修道会を創立した。
また、多くの人々が聖体に対する熱烈な愛を抱くよう導いた。
1868年8月1日に故郷のラ・ムールで死去。
8月4日  聖ヨハネ・マリア・ビアンネ司祭

1786年、フランスのリヨン近郊に生まれる。
多くの困難を来り越えて司祭となり、
ベレ司教区のアルス村の小教区を任され、熱心な説教、苦行、
祈り、愛によって、小教区民を立派に司牧し、信仰面で育てた。
また、優れた聴罪司祭として有名になり、全国から信者が彼を訪れ、
その指導を受けた,。1859年に死去
8月5日  聖マリア教会の献堂

イエスの母を「神の母」と呼ぶことが正しいと宣言したエフエソ公会議(431年)の後、
シクスト三世教皇によつて、ローマのエスクイリーノの丘に、
神の母聖マリアをたたえる大聖堂が建てられた。
後に「サンタ・マリア・マッジョーレ」と呼ばれるようになつたこの聖堂は、
マリアにささげられた教会堂としては、西方では最も古いものである。
8月6日 主の変容

この祝日は、東方教会においては5世紀頃から祝われていた。
主の変容が受難の四十日前に起こったというある伝承にもとづいて、
9月14日の十字架称賛の祝日の四十日前にあたるきょう祝われるようになった。
西方教会に広まったのは11世紀になつてからで、
1457年にカリスト三世教皇によつてローマ教会暦に加えられた。
主の変容は、受難を通して神の栄光を受けるキリストの姿を表すことによつて、
キリストが担われる十字架に弟子たちがつまずかないように、
彼らの信仰を固くする出来事であつた。

8月7日  聖シストニ世教皇と同志殉教者

257年にローマ教会の司教に叙階されたシストニ世教皇は、
翌年、カリストのカタコンベでミサをささげているときに、
バレリアヌス帝の禁教令に従って兵士に捕らえられ、
ローマ教会の4名の助祭とともに、8月6日に直ちに処刑された。
彼の墓は、そのカタコンベにある。

8月7日  聖カエタノ司祭

1480年、イタリアのビチェンツァに生まれる。
パドバで法律を学んだ後、司祭に叙階され、使徒的な活動に従事するために、
ローマで律修聖職者会(テアティノ会)を創立し、
ベネチアとナポリの地方でそれを広めた。
また、祈りと隣人愛に熱心に尽くした。
1547年にナポリで死去。

8月8日  聖ドミニコ司祭

1170年頃、スペインのカレルエガに生まれる。
パレンシアで神学を学び、オスマの教会参事会員となった。
アルビ派の異端に対しては、説教と模範的生活によって対抗し、大きな成果をあげた。
この仕事を続けるために同志を集め、
説教者修道会(ドミニコ会)を創立した。
1211年8月6日にボローニャで死去。
8月9日   聖テレサ・ベネディクタ十字架の)
           おとめ殉教者(エディット・シュタイン)

1891年、ドイツ領のブレスラウでユダヤ教徒の家庭に生まれる。
哲学を専門に学んだ後、キリスト教の洗礼を受け、
十字架のテレサ・ベネディクタの名を授かり、ケルンのカルメル会修道院に入った。
迫害の時期にオランダに脱出したが、
1942年に捕らえられてポーランドのアウシュヴィッツの収容所に送られ、
ガス室で殺害された。
8月10日  聖ラウレンチオ助祭殉教者

ローマ教会の助祭であったラウレンチオは、
バレリアヌス帝の迫害によって258年に殉教した。
それはシスト二世教皇と4人のローマの助祭が殉教して4日後のことであった。
彼の墓は、ティブルティナ街道に近いベラーノ原にあり、
コンスタンティヌス帝はその来の上に教会堂を建てた。
ラウレンチオに対する崇敬は、すでに4世紀に教会に広まった。
8月11日   聖クララおとめ

1193年、アシジに生まれる。
同郷のフランシスコに従って清貧の生活を送り、
女子修道会(クララ会)を創立した。
愛といつくしみの業に輝く厳しい生活を送った。
1253年に死去.
8月12日  聖ヨハンナ・フランシスカ・ド・シャンタル修道女

1572年、フランスのディジョンに生まれる。
シャンタル男爵と結婚して六人の子を産み、敬虔な母として育てた。
夫の死後、聖フランシスコ・サレジオの指導で完徳の道をひたむきに歩み、
特に貧しい者、病気の人を助けた。
また、聖母訪間会を創立し、長上として賢明に指導した。
1641年に死去.
8月13日  聖ポンチアノ教皇 聖ヒッポリト司祭殉教者

ポンチアノは231年にローマ司教に叙階されたが、
235年にマクシミヌス帝によつて、司祭ヒッポリトとともにサルデーニャ島に追放された。
彼は同地で教皇位を辞し、亡くなつた。
遺体はカリストのカタコンベに埋葬され、
ヒッポリトの遺体はティブルティナ街道沿いの墓地に葬られた。
両殉教者はすでに4世紀の初めから、ローマ教会で崇敬されていた。
8月15日  聖母の被昇天

5世紀のエルサレムで8月15日に祝われていた神の母マリアの記念は、
6世紀には、マリアの死去の日として東方教会で祝われるようになった。
7世紀半ばに西方教会にも受け継がれ、
マリアの被昇天の名で知られるようになったのは、8世紀になつてからである。
1950年にピオ十二世教皇は、
マリアが霊肉ともに天に上げられたことを教義として宣言した。
教会は、キリストと最も深く結ばれていたマリアが、
真っ先にキリストの復活と栄光にあずかっていることを祝っている。
8月16日  聖ステファノ(ハンガリー)

959年頃、ハンガリーに生まれ、洗礼を受け、
1000年にハンガリー国王となった。
正義と穏健といつくしみをもって国を治め、教会法を正しく守り、
国民の幸せのために努めた。
多数の司教座を設立し、教会の活動を大いに助けた。
1038年、セーケシュフェヘールバールで死去。
8月19日  聖ヨハネ・ユード司祭

1601年、フランスのセズ司教区内で生まれる。
司祭に叙階され、しばらくはいくつかの小教区で説教活動に専念。
やがて、神学校で優れた司祭を養成するための男子修道会を創立し、
さらに、道徳的な危険にさらされている女性を救い、
キリスト教的に教育するための女子修道会を創立した。
また、イエスとマリアのみ心に対する信心を広めた。
1680年に死去。

8月20日  聖ベルナルド修道院長教会博士

1090年にフランスのディジョン近郊で生まれる。
信仰あつく教育され、 1111年にシトー会に入会した。
間もなくクレルボーの修道院長に選ばれ、
指導と模範によって修道士たちを完徳に進ませた。
教会の分裂が生じると、平和と一致を回復するためにヨーロッパ中を巡り歩いて努力した。
神学と霊的生活に関する多くの著作を残し、1153年に死去。

8月21日  聖ピオ十世教皇

1835年、ベネチア地方のリエーゼ村で生まれる。
司祭に叙階されて、司祭職に励んだ。
マントバの司教、さらにベネチアの大司教を歴任した後、
1903年に教皇に選ばれた。
「キリストにおいてすべてを刷新する」というモットーを選び、
貧しい生活を送りながら、素直で剛毅な精神をもつて、
信者のキリスト教的な生活を育て、
当時生じた誤謬に対しては勇敢に戦うことによつて、そのモットーを実行した。
1914年8月20日に死去。
8月22日  天の元后聖マリア

この祝日は、 1954年にピオ十二世教皇によって発表された回勅によって定められた。
マリアは神の子イエス・キリストの母であり、神の救いの業の協力者となった。
こうして天に上げられたマリアは、王であるキリストの栄光にあずかることによって、
すべてのものの女王として高められている。
8月23日  聖ローザ(リマ)おとめ

1586年にペルーのリマに生まれる。
すでに家庭内で修徳に励んでいたが、
ドミニコ第三会に入会してから、特に苫行と観想的祈りに専念し、
神秘体験を得た。 1617年8月24日に死去。
8月24日  聖バルトロマイ使徒

ガリラヤのカナの生まれで、
使徒フィリポによってイエスのもとに導かれた。
キリストの昇天の後、福音をインドに宣べ伝え、
そこで殉教したと伝えられている。
8月25日 聖ルイ

1214年に生まれ、12歳の若さでフランス国王となる。
結婚して11人の子をもうけ、自ら子どもたちの教育に励んだ。
特に、苦行と析り、また貧者への愛に努めた。
国を治めるにあたつては、諸国間の平和と自国民の繁栄だけでなく、
民の霊的な進歩にも心を配つた。
キリストの墓所を取り戻すために十字軍の遠征を行ったが、
1270年にカルタゴ近郊で死去。
8月25日 ヨセフ・カラサンス司祭

1557年、スペインのアラゴニア地方に生まれる。
優れた教育を受けてから司祭に叙階され、祖国スペインで司祭職に励んだ。
その後、ローマに赴き、そこで貧しい家庭の子どもたちの教育に力を注ぎ、
この仕事を果たすために修道会(エスコラピオス会)を創立した
、多くの困難に遭い、彼の成功をねたむ人々からの中傷を耐え忍び、1648年にローマで死去
8月27日 聖モニカ .

321年、アフリカのタガステでキリスト信者の家庭に生まれる。
若くしてパトリキウスに嫁いで子をもうけた。
そのうちの一人がアウグステヌスである。
モニカは涙を流して、アウグステヌスの回心を神に祈った。
よき母の模範として、彼女は析りによって信仰をはぐくみ、
徳に満ちた行いを通して信仰を証しした。
387年にオスチアで死去。
8月28日 聖アウグスチヌス司教教会博士

354年、アフリカのタガステに生まれる。
若いときに放蕩生活を送り、マニ教に入つたが、
ついに回心してカトリック信仰を受け入れ、
387年にミラノでアンプロジオ司教から洗礼を授けられた。
祖国に帰った後、修道生活を送り、やがてヒッポの司教に選ばれた。
以後34年間、模範的司牧者として説教と多くの著作によつて教区民を教え導き、
当時の誤膠に対しては勇敢に争い、
深遠な学識をもつてキリスト教を解説した。
430年に死去.
8月29日 洗礼者型ヨハネの殉教

洗礼者ヨハネの殉教は、エルサレムではすでに5世紀に記念されていた。
サマリアのセバステで、主の先駆者であつた彼にささげられた
教会堂の記念日がこの日に当たると思われる。
洗礼者ヨハネの殉教の記念は、6,7世紀には、
「洗礼者聖ヨハネの受難(斬首)」という名称で西方でも東方でも広く祝われていた。
その誕生においても死においてもキリストの先駆けとなつた(きょうのミサの
集会祈願)洗礼者ヨハネの生涯を思い起こす記念日である。